丹羽良徳さんの「共同体の捜索、もしくはその逃亡劇」をAI KOWADA GALLERYで観てきました。
共同体の捜索、もしくはその逃亡劇
可能な限り積極的に仮象を生産しつつ、そのなかに埋没してしまいそうになりながらもその不可能性の中でしか現実を生き抜くことはできないとうことを掴めればと思っている。ぼくらはきっと、そんな表裏一体の社会構造の中軸に存在する。私達が形成する共同体へ向かおうとすれば、するほど逆に遠のいてしまうのも事実だと思っている。これらの作品群は、一見なんの変哲も無い行為の記録で あるが、よく考えてみれば確かに我々の社会構造の一端を抉り取られているようにも思える。その違和感が感じ取れる限りにおいては 、ぼくはその人間性というものを信じたいとも思っている。
今回の作品は「自分の所有物を街で購入する」(2011)「デモ行進を 逆走する」(2011)を中心に様々な社会現象や構造の中に軽や かに突入するかの如く挿入された異形の行為が、私達の見ている社 会の表層にどのような波紋を作り出すことができるのか。現実の中で状況に応じて、私達が能動的に生き抜くために。
2011年 丹羽良徳
文中にもあるように、今回の作品は「自分の所有物を街で購入する」(2011)「デモ行進を 逆走する」(2011)です。
一つは自分が街で購入したものと同じものを売っている店でもう一度その手に持っている同じ商品を購入するというもので、誰も気がつかずにそのまま購入できてしまう。
もう一つはデモ更新を逆走してあるくというもので、完全に不可解な感じで周りにみられつつも特に何も起きないんだけど、なにか歪みの様なものの間を歩いている見えるような作品が2つでした。
どちらも、何か歪んでいるんだけど、結局なにも変わらないし、なにも起きないというものだったように思えます。
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