佐藤允さんの「求愛 / Q1」をKOSAKU KANECHIKAで観てきました。
前からやっている細かいどこまでも念のようなものを書き込んだ重い鉛筆画もあったんですが、それに加えて今回はペインティングもありました。さらに公開制作というかライブペインティングというか、その場で作品の制作を行っていました。
ペインティングの作品も自画像なんですが、どこか念のような深い感情が刻み込まれているという感じがします。そこで今回のステイトメントを読んでみると、
本展は人を傷つける、傷つけられるという、佐藤の制作自体の中心とも重なるテーマがあります。佐藤は以下のように述べています。
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求愛
幼少期、絵を描いている私の絵を覗き込む大人達は皆、苦い顔をした。つまり、私の絵は気持ちが悪かったのだ。世の中には表してはいけない絵があり、作者の意志に関わらず、人を傷つけたり不快にさせる恐れのあるものは表現してはならないと教えてくれた先生もいた。
私は表現していたのではなく、ただ吐き出していただけだった。
周りの忠告から私は、隠れてこっそり絵を吐くようになった。
大人になり、その気持ちに変化はない。今でも、絵を描いていると、描いてはいけないんじゃないか、と躊躇することがある。誰かを傷つけてしまうかもしれないことは日常の中に沢山あって、その傷は目に見えないから、描く手を止めて考える。これは人に見せてよいものなのだろうか。描くこと自体が悪いことのようにも思う。
今回描かれているものは全て私のことだ。私は私を表す時程、清濁全てを覗いてみたいと思う。
絵に自分自身を写すことで、私を理解してくれる誰かを探している。
他人と心繋がず生きるのはとても苦しい。
私は絵になって、人に触れたい。
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人と繋がりたいけれど、傷つけることも傷つけられることも避けたい。それは誰もが抱く思いです。佐藤の制作はパーソナルな事柄や問いから出発していますが、その切実さは鑑賞者の心をも動かします。またその一方で、「描く手を止めて考える」という習慣から佐藤が獲得した、俯瞰的で冷静な眼差しは、自身の描いたものを通してもう一度世界を捉えなおそうとしています。
本展のタイトルにある「Q1」には複数の意味が含まれています。「求愛」としての「Q1」、そして「問1」としての「Q1」。今年の3月11日、6年前に震災があった同時刻に、2匹の虫が恐れながら互いに近づきあおうとしている場面を描いた作品が偶然完成しました。「求愛」はその作品によって佐藤の頭に浮かんだ言葉で、現在の彼の表現活動において重要なキーワードだと感じたと言います。
人が誰かと完全に繋がり、一緒になるということは、人である以上不可能なことかもしれません。だからこそはかなく、美しいもの。絵画だけではなく、文学など様々な芸術において古くから続くこのテーマや理想を佐藤は追い続け、描いています。
この表現はこういうところから来ているのかという理由がわかったような気がしました。
深い思考があるからこその、作家に触れるかのような「求愛 / Q1」を興味深く見れました。